本田美奈子 白血病で死去 画像5

本田美奈子 白血病で死去 画像5

本田美奈子さん告別式に3700人

運び出される本田美奈子さんの棺の横で、涙にくれる母・工藤美枝子さん=埼玉県朝霞市斎場

 6日に急性骨髄性白血病のため死去した歌手・本田美奈子さん(享年38 本名・工藤美奈子)の葬儀・告別式が9日、埼玉県朝霞市朝霞市斎場でしめやかに営まれた。戒名は釋優馨(しゃくゆうしょう)。04年にミュージカル「クラウディア」で共演した俳優・岸谷五朗(41)が号泣しながら弔辞を読み、芸能界を中心とする関係者700人とファン3000人が別れを告げた。

 こみあげる嗚咽(おえつ)を抑えることができない。参列者に微笑む遺影に向かい、岸谷は震える声で“お別れの手紙”を読み始めた。

 「あなたはいつもまじめで、いつも謙虚で、いつも仲間のことを考えていた。こんなにいい子とはもう二度と出会えないでしょう…」

 途中、何度もあふれ出る涙を手でぬぐった。04年5月から3カ月間、舞台をともにした思い出が脳裏をよぎる。

 「再び同じ舞台に立つという約束はかなわなかったけど、ぼくたちはこれからも舞台づくりをしていく。いつも美奈子ちゃんが見てるから、サボれないね」

 遺影に誓う。だれよりもステージを愛していた本田さんを知っていればこそ。最後は「本当の天使になった美奈子ちゃんへ」と締めくくった。

 午前10時の開式を待ちきれず、同8時には斎場前に記帳を待つファンの長い列ができた。戒名は「優しい声」を意味する「釋優馨」。その声が生でもう聞けなくなったのを惜しみ、全国のレコード店にはファンが本田さんのクラシックCDシリーズ「AVE MARIA」「時」「アメイジング・グレイス」を求めて殺到。「アメイジング―」には1万枚以上の追加注文があった。

 正午、本田さんが大好きだったというひまわりの花に飾られた紺色の棺が出発。「美奈子ちゃん、ありがとう〜」とファンの絶叫がこだました。

愛と平和求めた本田美奈子さん

本紙に登場したときの本田美奈子さん(6日、急性骨髄性白血病で死去。38歳)

 本田美奈子さんの取材をしたのは、赤旗記者だった二年前、若い読者からもらった手紙がきっかけだった。本田さんのことを何も知らない僕は、ただただ「最近、愛と平和をこんなにも高らかに歌うボーカリストは他に知りません」という強い言葉に惹(ひ)かれて動き出したのだ。

 夏の暑い日、東京・恵比寿の小さな公園で撮影した。目が覚めるようなショッキングピンクのタンクトップと目茶苦茶ほっそいジーンズを穿(は)いてさっそうと現れた本田美奈子さんは、笑顔の素敵な女性だった。それでもカメラマンは「表情がかたい」と言う。本田さんが慣れたように「記者さん、わたしに、いろいろ質問して」と言い、僕は「好物は何ですか?」「趣味は何ですか?」などと野暮なことを訊(き)き、「お見合いじゃないんだから」とハハハと笑われた。

 事務所でのインタビューは、主にイラク空爆と重なったレコーディング時期に何を考えながら歌ったのかを問うものになった。アイドル時代のロック調から一転して、最新アルバムは、クラシカルな楽曲に平和の尊さを訴えた自作詩をのせ、鍛えられたハイトーンボイスで歌い上げるものになっていたからだ。彼女はこんな言葉を残している。

 「どのチャンネルも戦争ばかりで…。だから、憎しみ争い、自分の心が黒い影に染まる世界ではなく、笑い合い励まし合える世界を願って詞を書いたんです」(〇三年八月二十三日付)

 忘れられないのは、取材を終えてノートやテープを仕舞っていた僕に、本田さんが「こんなに真面目に真剣にわたしの歌のことを訊いてくれた記者はいません」という言葉をかけてくれたことだ。「ほかの新聞記者は、関係ないことばっかり訊くから」と言い、また笑った。

 さらに本田さんは、付き人に「カメラを取ってきて」と頼むと、向かい側から僕の隣りに移動して「ハイ、チーズ!」と元気いっぱいに叫んだのだ(なんとツーショット写真を撮ってくれた!)。このとき僕は、「しんぶん赤旗」の記者だからこそあなたの平和への思いを訊くことができたのだし、それを一流のアーティストであるあなたは正面から受け止めてくれたのだ、と確信し、深い感動にとらわれた。

 本田さんの新しい魅力は、愛と平和を希求する姿だった。急逝が惜しまれてならない。
「けいこ場の天使だった」
本田美奈子さんに3700人最後の別れ
 急性骨髄性白血病のため、6日に38歳で亡くなった歌手でミュージカル女優の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名・工藤美奈子)さんの葬儀・告別式が9日、埼玉県朝霞市の朝霞斎場で営まれた。会場には歌手の松崎しげる(55)をはじめ親交のあった関係者ら約700人が参列。会場の外には全国から駆けつけたファンなど約3000人が訪れた。岸谷五朗(41)が涙ながらの弔辞を読み上げ、出棺の際には多くの人から「ありがとう」「さようなら」の声が飛んだ。

 「筆無精の僕は、いつも電話かメールばかりでこれが初めての手紙です」

 開式からの止めどない涙をこらえながら弔辞を読んだ岸谷は、優しくほほ笑む本田さんの遺影に最初で最後の手紙を送った。

 「美奈子ちゃんにはたくさんのビックリをもらいました。けいこ中、マット運動でむち打ちになり、コルセットでけいこ場に来ました。ビックリしました。苦しいけいこの中、美奈子ちゃんの笑顔はけいこ場の雰囲気を変えてくれました。けいこ場の天使でした。ビックリしました。本番に入ってからの強靭(きょうじん)な精神力・存在感ビックリしました」

 昨年5月に舞台「クラウディア」で共演した岸谷の脳裏に刻まれた、ミュージカル女優として輝いた本田さんの思い出。思い出す度に、こみあげるものを抑えきれず、声を詰まらせ、何度も喪服の袖で涙をぬぐった。

 「こんなにいい子にはもう2度と会えないでしょう。たくさんの優しさをありがとう。病気との闘い、偉かったです。美奈子ちゃんはずっと頑張っていたのに…『ガンバレ!ガンバレ!』と言ってゴメンね。頑張り抜きました」

 闘病中、本田さんの力になれなかった無念さを打ち明け謝罪した。

 「僕たちはまた頑張って舞台づくりをしていきます。いつまでも僕たちを見守っていてください。本当の天使になった美奈子ちゃんへ」

 弔辞を読み終えると、こらえ切れず号泣した。

 会場中が涙に包まれる中、母で喪主の工藤美枝子さん(62)が位牌(いはい)、妹の律子さん(34)が遺影を持ち出棺。

 美枝子さんは「こんなに大勢の皆さまに愛されて美奈子は本当に幸せです。どうぞ美奈子を忘れないで、皆さまの心の中にずっとずっと…お願いします」と参列者に気丈にあいさつ。しかし、あいさつを終えると号泣し、本田さんの“育ての親”である高杉敬二エグゼクティブプロデューサー(66)に体を支えられた。

 本田さんが歌う「アメイジング・グレイス」が流れる中、霊きゅう車が動き出すと、会場内外から「ありがとう!」「さよなら!」という声とともにすすり泣きが聞こえ、3700人に見送られた。

 本田さんの遺体は親族ら約50人に見守られ、戸田斎場で荼毘(だび)に付された。

さようなら本田美奈子.さん…しめやかに通夜営まれる
祭壇で微笑む美奈子.さん。大好きだったかすみ草などたくさんの花が飾られた=埼玉・朝霞市
6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手、本田美奈子.さん=本名・工藤美奈子=(享年38)の通夜が8日、埼玉・朝霞市斎場でしめやかに営まれ、一般弔問客1200人、ファン1500人の計2700人が故人の冥福を祈った。また、所属事務所の高杉敬二エグゼクティブプロデューサー(66)らが、美奈子.さんの遺志を継いで白血病患者の支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」主催によるチャリティーコンサートを行うことを発表した。葬儀・告別式は、9日午前10時から同所で。

「もう一度歌いたい」

美奈子.さんが最後まで願い続けた思いを叶えるため、そして同じ病気と闘う人たちを支援するため、来年にもチャリティーを兼ねた追悼公演が開かれることになった。

白血病患者支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」は、今年5月に病床の美奈子.さんが「病室にいる私にできることはなんだろう」と高杉氏に訴え、「同じ苦しみの中で頑張っている人たちの代表として、みんなに勇気と希望のエールを送ることが私の使命」と設立した。

発起人には美奈子.さんが師と仰ぎ、故越路吹雪さんのマネジャーでもあった作詞家、岩谷時子(89)さんや歌手の岩崎宏美(46)、松崎しげる(55)らが名を連ね、NPO非営利団体)法人をめざした。また、同プロジェクトのテーマソングも完成し、あとは美奈子.さんの回復を待って、チャリティー公演を行うだけだった。

高杉氏は「美奈子の残した財産なので、大事にしていきたい。1回や2回でつぶれるようなコンサートにしてはいけないから」と、じっくり準備段階を設けて臨む意向を明かした。

ただ、来年には発起人に名を連ねる岩崎や松崎をはじめ、ミュージカル「ミス・サイゴン」で美奈子.さんの恋人役を演じた岸田敏志(52)ら歌手仲間が一堂に会し、天国の美奈子.さんに届けてとばかりに第1回のチャリティー公演が実現する運びという。

また、この日「笑顔」=別項=と題した遺稿も発表された。「辛い時、悲しい時、あせらないでね。自分だけが不幸じゃない」と自らに言い聞かせ、「自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事ができるでしょう。笑顔がいちばん」と、最後まで明るい笑顔で前向きに生きた美奈子.さんらしい文章だった。

祭壇には700本の供花に囲まれ、美奈子.さんの遺影が微笑んでいた。昨年11月にカレンダー用に撮影されたとびっきりの1枚だった。棺にはファン代表の手紙やCDが入れられ、BGMにはアルバム「AVE MARIA」が絶え間なく流れた。

★思い届かず…
誰からも愛された美奈子.さん。この日も生前から親交のあった仕事仲間や友人らが次々と弔問に駆けつけた。

東京・明治座での舞台を終えて駆けつけた女優の南野陽子(38)は、ひと目もはばからず、号泣し、泣き崩れた。

堀越高校でのクラスメートで公私ともに仲が良かった。闘病中は何度も病室を訪れ、亡くなる前夜も病院を訪れた。

「人ってこんなに苦しむものなのかと…。その時はもう昏睡状態で全然動けなかったけど、ママが、『ナンノちゃん来たよ!』って言って手をさすると、涙を流してくれて…。でも、『ウッ、ウッ』って呼吸が苦しそうで。それでみんなが『分かった?』って言ったらまばたきしてくれたんです」と嗚咽。だが、必死の思いは届かなかった。

「悔しいです!!東京に出てきて初めて同じ夢を持つライバルで友達だった。私を筆頭に歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で。本当に頑張っていたのに」。声を振り絞った南野だったが、最後は両手で顔を押さえ、「ワァー!!」と崩れ落ちた。

舞台「レ・ミゼラブル」で共演した岩崎宏美は「今寝ている姿を見たら病院のときと違ってすごくきれいで、もう頑張らなくていいというか天使になっちゃったんだと思った」と絶句。「友人でいられたことを誇りに思ってるし、舞台でドキドキしても美奈子がいると思うと頑張れると思う。彼女の思いを私の声に乗せて届けていきたい」と遺志を継ぐことを約束した。

★ファンも涙、涙、涙 
斎場の入り口横にはファンのための献花台が用意された。台の前には常時200人ものファンが列を作り、合計1500人が参列。一般弔問客の1200人と合わせて実に2700人が参列し、あまりにも早すぎる死を悼んだ。

ファンの中には、喪服姿も多く、美奈子.さんの曲が流れる中、遺影に手を合わせた。携帯電話のカメラで記念に撮影する若いファンの姿も見られた。

東京・小金井市から娘と孫の3人で訪れたという主婦(54)は「本田さんのファンだったので、病気になってからもずっと応援していました。3年前に20歳の息子が同じ病気で亡くなりました。本田さんには、天国でも歌っていただき、息子と会ってもらえればと思います」と声を詰まらせ、涙を流した。

★追悼番組
テレビ東京が、11日放送のバラエティーたけしの誰でもピカソ」(金曜後10・0)で。昨年5月に美奈子.さんがゲスト出演したときや今年8月に特集した際の映像などを放送する。

早見優
「高校から一緒。舞台『レ・ミゼラブル』も3年間一緒でした。私が失敗しても『大丈夫だよ』と励ましてくれた。(闘病の)10カ月は本当につらかったでしょうね。歌は本当に上手。越路吹雪さんみたいになるんだといってた。ファンを大切に思っていたから…家庭という縁があれば、そういう選択もあったでしょうが。(焼香し)『本当にありがとう。会ったことは絶対忘れない』と言いました」

工藤夕貴
「私と親戚じゃないかという噂があった分、応援、尊敬していた。遺影を見て本当に逝っちゃったと思った。今まで実感がなかったけど、本当に…。絶対元気になってくれると思ってた。私は来世を信じているので、早く生まれ変わって私たちの前にもう一度現れて、歌手になってほしい」

◆ミュージカル「クラウディア」で共演した俳優・寺脇康文
「退院したらお寿司をごちそうする約束をしてたんですが…。金曜日に見舞いに行った時、呼びかけると、意識が混濁している中で、一生懸命こたえてくれたんです。天使のような方だった。本物の天使になって、天国で思いっきり歌ってほしい」

■主な弔問客
秋元康天海祐希、ANRI、井森美幸岩崎宏美小倉智昭、かたせ梨乃、河相我聞、岸田敏志、工藤夕貴シルビア・グラブ涼風真世高嶋政宏立花理佐寺脇康文徳光和夫長山洋子夏木マリ西田敏行服部克久早見優、ヒロミ、松本伊代松本典子南野陽子村井国夫、YU−KI(TRF)、渡辺美奈代

■3月に病床で作詞用に綴った遺稿
2005.3.5
作詞 本田美奈子.

笑顔

子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、
みんな、みんな 笑っている顔が素敵。
怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!
きっと笑顔が幸せ呼ぶと、頭では分かっていても、
心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?

心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、
きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。
そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。
笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。

でも、人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、
勿論、沢山あると思う。そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。
もっと、心が暗闇に閉じ込められている人達も、
沢山いることを、少しだけ思い出してみて。

自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。
気が付かないうちに心が開いて人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。
それは、人それぞれだと思うの。

人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって
豊かな心を持ち、豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。
自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りに居る人達にも、
幸せ届ける事が出来るでしょう。

笑顔がいちばん