スーパーモーニング 日本の死刑・秘される執行の実態 キャプチャー画像

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09:32:23日本の死刑・秘される執行の実態
法務省調べ戦後の死刑執行者数は631人、11月末現在の死刑確定者は77人。今年9月大阪拘置所で1人の死刑が執行された。日弁連「死刑執行停止実現委員会」小川原優之弁護士、元刑務官・野口善國弁護士のコメント。1955年・執行直前に最期の別れ、死刑囚の肉声テープを紹介。

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09:38:16日本の死刑・秘される執行の実態
1993年・後藤田正晴法務相(当時)、10月・杉浦正健法務相の会見。内閣府世論調査結果。死刑台から生還した死刑囚は4人。4月に再審開始決定が出た奥西勝死刑囚を紹介。日弁連「死刑執行停止実現委員会」小川原優之弁護士のコメント。明治6年以来、方法は絞首刑。1955年・執行直前に最期の別れ、死刑囚の肉声テープを紹介。当時の大阪拘置所所長・玉井策郎氏が死刑廃止を訴えるために秘密に録音・編集したもの。

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09:43:20日本の死刑・秘される執行の実態
1955年・執行直前に最期の別れ、死刑囚の肉声テープを紹介。当時の大阪拘置所所長・玉井策郎氏が死刑廃止を訴えるために秘密に録音・編集したもの。死刑囚は浄土真宗本願寺派教誨師(当時)吉川卓爾氏から説教を受け、その後、姉と面会した。日弁連「死刑執行停止実現委員会」小川原優之弁護士、元刑務官・野口善國弁護士、元死刑囚・免田栄氏のコメント。「正善寺」にある死刑囚が彫った仏像を紹介、吉川幸子氏のコメント。

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09:54:46日本の死刑・秘される執行の実態
執行の事前告知をしない事について法務省の回答を紹介。田中喜代重弁護士のコメント。

死刑(しけい)は、刑罰の一種で、対象者(受刑者)の生命を奪うことによってその罪を償わせる刑罰の総称である。

現在の罪刑法定主義に基づく近代の法体系においては最も重い刑罰で、極刑とも言われ、非常に重いとされる罪、特に殺人罪に対して科される。死刑制度の是非については世界的に多くの議論があり、死刑制度を設けている国と、設けていない国がある。また、法律上は死刑制度を設けていても実際には死刑を執行していない国もある。

また、殺人罪のことを一般に死罪とも呼んだりして意味が混同されることもあるが、一般には、罪状を「殺人罪」、刑罰名を「死刑」として区別する。
一般予防説に従えば、「死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する。」ということになる。

特別予防説に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う。」ということになる。特に凶悪な殺人犯に対してはその傾向が強い。

一般的な死刑賛成論者には、敵討ちの説が多く見られる。つまり、殺人犯に対する「報復」という発想で、被害者の心情を反映した発想だと思われる。しかし、これは特定少数者の心情的充足のみを目的として行われる行為であるため、「公共の福祉」を実現するための施策とは言えず、死刑の理由として法的に正式に認められた事例は無い。新憲法下で初めて死刑を合憲とした判決(最高裁昭和二十三年三月十二日大法廷判決)においても、威嚇効果と無力化効果(隔離効果)のみを認めて合憲としている点に注意が必要である。

粛清の説は、「(権力者に)反対する者は殺す」「邪魔者を消す」という発想で、独裁国家・絶対主義国家・軍国主義国家に多く見られる。

一般予防説に従えば、「死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する。」ということになる。

特別予防説に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う。」ということになる。特に凶悪な殺人犯に対してはその傾向が強い。

一般的な死刑賛成論者には、敵討ちの説が多く見られる。つまり、殺人犯に対する「報復」という発想で、被害者の心情を反映した発想だと思われる。しかし、これは特定少数者の心情的充足のみを目的として行われる行為であるため、「公共の福祉」を実現するための施策とは言えず、死刑の理由として法的に正式に認められた事例は無い。新憲法下で初めて死刑を合憲とした判決(最高裁昭和二十三年三月十二日大法廷判決)においても、威嚇効果と無力化効果(隔離効果)のみを認めて合憲としている点に注意が必要である。

粛清の説は、「(権力者に)反対する者は殺す」「邪魔者を消す」という発想で、独裁国家・絶対主義国家・軍国主義国家に多く見られる。

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日本での歴史的推移
かつて、日本でも平安時代に360年もの間、死刑を停止したことがある。しかし、保元の乱を契機に再び死刑が行われるようになった。保元物語巻之二「為義最後の事」の藤原信西の言葉には、

「おほくの凶徒を諸国へわけつかはされば、定而猶兵乱の基なるべし。(中略)若重てひがごと出来りなば、後悔なんぞ益あらん。」と申ければ、みなきられにけり。
とあり、兵乱の防止を目的として死刑を復活させたことが記録されている。その後の鎌倉・室町時代には全国的に統一され